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「イライラ」で学び。

はづき虹映さん
のメルマガを縁あって購読させていただいています。

今日届いたメルマガ、なんだかとても考えさせられました。

「イラ立ち」についてだったのですが、特に

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あなたは自分の思い通りに、
他の人が動かないと「イラ立ち」を感じているワケですが、
あなた自身は、誰か他の人の思い通りに動いているでしょうか?

「あの人さえ、キチンとやってくれれば…」

「約束したのにィ…」

「電車さえ遅れなければ…」と、

「イラ立ち」の原因を自分以外の誰か他の人や出来事のセイにして、
周りを責めている
限り、「イラ立ち」の原因は次から次へと、
際限なく出て来て、無くなることはありません。

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の箇所にズーーン。

・・・確かにイライラしているときは、自分が「正しい」という基準の元で判断して、自分がイライラしていることがほとんどですね。

相手が間違っている、私を傷つけた、だからイライラする・・・みたいな。

でも、もしかすると、向こうも同じように思ってるかも知れないんですよね。

言われてみれば、人の思い通りに動かないようなタイプの人ほど、人が思い通りにならないと言ってイライラしちゃってることが多いかも・・・。

「我が強い」と言うのでしょうか。

(誰しも「我」は持っているもので、「我」がなければいいかと言えばそうではないのだけれど・・・。)

突き詰めていくと、イライラするとか、あの人がどーのこーのとか、何かを責めてしまうときって、自分の弱いところが痛んでいるんだな、と思うのです。

弱いところをかばうために、人を攻撃する気持ちになり、結局自分も傷つけてしまう・・・。

そんなふうに思えます。

だから、イライラしたり、怒っている人は、本当は悲しんでいるのかも・・・って。

もし、そうなら気付いてあげられなかった人がいるな・・・と心が痛みます。

表面しか見なかったから・・・。

でも、人の「イライラ」、自分の「イライラ」で学ぶことも多いですね。

ちょっと血が出るくらい、痛いですけどあせる

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