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「触れる」ことは「育てる」「育つ」こと。

言葉の素晴らしさとともに、言葉の恐さも思い知ることがある。

今までも、何度もそんなことに出逢った。

言葉は神様が与えてくれた素晴らしい能力だと思う。

お国が違って、話す言葉が異なっても、基本は心。

過去、ナーバスだったこともあってか、やたらと言葉が素直に入ってこなかったことがある。
裏を読んでみたり、深く考えすぎたり。

笑って言われていることが、泣けるくらい悲しかったり。

「そんな言葉聞きたいんじゃない。
今欲しいのは、そんな言葉じゃない・・・。」

耳から入ってくる言葉だけ聞いては、一人悶絶していた、あの頃。

そんな経験を経て、今、人に対しては、自分の感覚重視なところがある。

言葉より、感覚。

言葉では分からなかったことも
触れて分かることもある。

最近、色々なものに触れたいとすごく思う。

「触れる」ことで生まれた、その感覚を言葉にしたいと思うことが多い。

人にも、自然にも、言葉にも、心にも
触れていきたい。

「触れる」ことは、「育てる」「育つ」ことと思う。

私から、何が育つだろう。

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